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「アーティスト・ステートメント」2018. 5. 18

 私たち制作者・表現者は、積み重ねられてきた技術や伝統といった知の歴史と自分≒作品との対峙を(積極的、消極的にかかわらず)常に迫られてきた。そして「工芸」は現在においてもその性質を保有している数少ない領域であると思われる。しかし近代(産業革命)以降、また日本では明治中期以降、テクノロジーの進歩やそれに伴う社会状況の変化により、現在においてはむしろ、制作(芸術、美術)と技術、伝統はますます分けて考えられるようになった。これは明治以前には「技芸」や「工業」(たくみのわざ)と呼ばれ未分化であった概念が、明治中期には英語 art の訳語として「美術」または「美術工芸」と呼ばれるようになったという事態にも現れているだろう。現在では美術は芸術の一分野として、工芸やデザインとも分離され、技術は「製造」に関わる技術や工学などテクノロジーとして、そして伝統は美術と分離された「文化財」などといった語によって表現されるようになった。

 近代はいわば、このような「分類」と「階層化」の時代であった。しかし、2000年代よりインターネットをはじめとする情報通信技術、そしてそれを扱う企業の急速な発展により、美術と技術が再接近しているように思われる。これはメディア・アートと呼ばれるアートの技術的な(技術のアート的な)アプローチによる作品の登場にもみられるだろう。そして昨今では、データの集積により、一見して無関係のように思われてきた事象どうしの関係性が明らかになり、社会構造のみならず学問領域や伝統そのものが見直されつつある。

 古代ギリシャにおいては「芸術」と「技術」はほとんど同等の意味を持つというくらい近い関係にあった。たとえばtechniqueの語源である「テクネー」は芸術をさす以前に、あらゆる制作にたいする知のありかたを示しており、芸術のみならず医術や弁論術などさまざまな技術(と人間)による所産を包括した概念だった。また「テクネーを持つもの」を意味する「テクニテース」についてハイデッガーは「このギリシャ語を「職人」と訳するなら、われわれはその意味をあまりにも狭く解しすぎている」1と述べた。

 どのような制作者にも敬意が払われていた古代ギリシャ人の世界を考えてみると、私たちもまた、自由な発想を育むとされる美術においてですら、近代的な分類の思考に囚われていると言わざるをえない。そして私は、「美術」と「技術」のあいだにありながら、日本美術史において特異な位置を占め続けている「工芸」をその制作者の観点から考察していくことに、転換期を迎えている現代を超克する可能性を見出すことができるのではないかと考えている。

1 ハイデガー, M『技術への問い』平凡社ライブラリー(2015)p.207

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